人気デザイナーのドローイングを観に新宿までフミ散歩。原画(リトだけど)は初めてですが、全く別物でした。モニター越しで「観た気」になっていた自分が恥ずかしい。呼吸をするように震える筆跡が繊細に重なり合い、積み重ねられた時間と織り込まれた空気を感じ取れます。多くの人を魅了する「理由」がそこにありました。丁寧で気が利いている三澤さんの控えめな演出も必見。お勧めです。
Ronan Bouroullec「The hand remembers.」
2024年8月31日(土)~9月29日(日)
伊勢丹新宿店 本館2階 イセタン ザ・スペース
※本館1階ウインドーディスプレイ:2024年8月28日(水)~9月17日(火)
この手が覚えていること
ドローイング(デッサン)とロナン・ブルレックの人生は、完全に溶け合うほど緊密に絡み合っています。幼少のころから描かなかった日は1日たりともありません。学びの時代もずっと、さらにその後も休みなく、デザインの仕事と平行してドローイングを描きつづけてきました。アーティスト自らが厳選した40点近いドローイング、画帳、陶板シリーズ(bas-reliefs)からなる、このたびの展示会で、彼の創作のまだあまり知られていない重要な一面を発見し、日々描き継がれてきたドローイングの満々たる豊かな流れにひたっていただけたらと思います。
ロナン・ブルレックのドローイングの特徴は、デザイナーとしての創作活動に不可欠なツールであるスケッチとは全く違い、注文の制約、問題意識、基準、結果に一切とらわれずに生み出されるというところにあります。いかなるプロジェクト、仕事の枠にも組み込まない、という姿勢が貫かれています。プランも出発点となるアイディアもありません。ただフォルムが、連続性と関係性をたよりに、繰り返される動きによって、徐々に展開していきます。要するに、Le dessin est sans dessein.(意図なきデッサンなのです)。
意図の払拭は、規則正しい筆運びと、身振りへの強い意識につながります。軽やかに紙にもたれてペンをあやつる左手、画紙のまわりをめぐる身体の動き、線に表われる脈動、呼吸のリズムへと、たえず意識が向かいます。描画は、実際に感じられ生きられた時間とシンクロして直線的に進みます。それは自己認識、心を浄化する修養の時ともなります。
それはまた、歓びの時でもあります。なめらかに素早く紙上を滑る快感。紙の抵抗の度合いによって、その滑り具合は微妙に変化します。さらに、ボールペンの緩慢さ、フェルトペンの敏捷さ、液をたっぷり含んだ筆ペンの官能性も歓びをもたらします。哲学者ジャン=リュック・ナンシーも『デッサンにおける歓び』という論考で、「現存するありとあらゆる存在物と形の彼方にあるものに、形を与え、それを存在させようとする際に生じる歓び」は、ほかのいかなる芸術形式よりもドローイングにはっきりと立ち現れる、と述べています。
著:マルタン・ベトゥノ
Ronan Bouroullec/ロナン・ブルレック
1971年カンペール生まれのフランス人デザイナー。
35年以上にわたり、国際的に敬意を表されているブランドとのコラボレーションにより、独創的な製品を創り出してきました。彼の作品は、工業的かつ職人的なノウハウが共鳴しあう創造プロセスに基づいて作られています。またデザイナーとしての仕事と並行して、ドローイングは彼の日常生活の重要な部分を占めており、その作品はアートコレクターやギャラリーから注目され続けているだけでなく、世界各地の美術館や美術財団に展示され、収集されています。(ニューヨーク近代美術館/MoMA、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館、パリのポンピドゥー・センターなど)。