フミ3ぽ

師匠の河野鷹思先生が原書の装丁、挿絵を手がけた『りんごの村』(文:小出正吾、絵:河野鷹思)復刊を記念して、鷹思先生のデザインワークを中心にした展示が開催されているので、銀座までフミ散歩。縁のある場所でのこだわりの展示に、鷹思先生もきっと喜ばれていると思われます。今週末まで。何卒宜しくお願い致します。

『りんごの村』新装復刊記念
河野鷹思のデザインワーク展

期間:2024年5月7日(火)〜12日(日)
時間:13時~19時(最終日は18時まで)
場所:森岡書店銀座店 東京都中央区銀座1−28−15 鈴木ビル1階

『りんごの村』(文:小出正吾、絵:河野鷹思)復刊を記念して、デザイナー河野鷹思さんのデザインワークを中心にした展示を開催します。
本書は1950年に刊行され、長らく絶版となっていた児童文学です。作者は児童文学者の小出正吾氏、原書の装丁、挿絵を手がけたのは河野鷹思です。河野は日本のグラフィックデザイン界の先駆け的存在で、デザイン性とクオリティは時代や国を超えて通用する力強さがあります。

本展は『りんごの村』をはさむ1930-58年にかけての本や雑誌の仕事を中心に、ポスターとポートフォリオを含めてご紹介します。 河野鷹思は1929年に東京美術学校(現東京芸術大学)在学中に、松竹キネマ株式会社宣伝部に就職し映画広告や美術を担当しました。当時は映画製作の大ブームで、予告用のポスターのほか折込広告、新聞・雑誌の広告など、それぞれの媒体に合わせてデザインを制作しました。若く仕事の早い河野に対して会社の上司は社外の仕事に寛大であり、書籍の装幀や雑誌の表紙デザイン、新聞や雑誌小説の挿し絵もその頃に手がけました。そのひとつ、西條八十主宰の雑誌『蝋人形』の表紙デザインを1931年に竹久夢二から引き継ぎ、描き文字とイラストレーションが好評を博しました。

1930年代後半から世の中が戦争へ向かって変化をしていき、ジャワで敗戦を迎えます。捕虜生活から解放された1946年、帰国後最初の仕事が戦前からの旧知・伊藤逸平主宰イヴニングスター社刊<風刺雑誌「VAN」>の表紙と中身のカットなどのイラストレーションでした。同じくイヴニングスター社の「黒猫」「人間喜劇」等の風刺雑誌のほか書籍も多数手がけ、福田勝治写真集『花と裸婦と』での装幀も行いました。今回展示する1941年装幀の福田勝治写真集『銀座』は、東京大空襲を受ける以前の銀座の街並みの写真集です。そこには華やかな人々の生活と共にうっすらと戦争への影もレイアウトされ、カバーデザインは今の時代でも手にとりたくなるイラストレーションが描かれています。

1950年代にはいると『りんごの村』を含め国語教科書の表紙絵や茶道総合誌「淡交」などを手がけました。1956年、学生のころから海外に目を向け英語も堪能であった河野は、欧米を周るデザイン視察に向います。

今回、その視察に携行したシルクスクリーン印刷による20葉1組のポートフォリオのうち5作品をジークレープリントで復刻、限定販売します。また、1955年までの初期作品集『青春図會』をはじめ、『りんごの村』の見開きをモチーフにしたオリジナルハンカチ、2003年「なかなかなさかなかな展」のさかなモビールなどのグッズも販売します。

協力:河野鷹思アーカイブ、アノニマ・スタジオ

河野鷹思(こうのたかし)
1906年東京・神田に生まれる。東京美術学校図按科卒業。松竹キネマ宣伝部に入社し、映画広告や美術を担当。1936年に独立し、広告、装幀、雑誌表紙、挿絵、映画美術、舞台装置等を手がけ、戦時中はジャワに徴用。日本宣伝美術会創立委員、「グラフィック‘55展」に参加、綜合デザイン事務所デスカ設立。世界デザイン会議実行委員、大阪万博日本館展示設計、札幌冬季五輪ポスターのデザインを手掛ける。女子美術大学教授、愛知県立芸術大学学長、日本人初の英国王立芸術協会員。1986年に東京ADC「Hall of Fame」選出。1999年に永眠。
長女はイラストレーター、デザイナー、絵本作家として活躍する葵・フーバー・河野。

森岡書店銀座店は、銀座一丁目にある近代建築で東京都歴史的建造物に指定されている鈴木ビルの1階に位置します。鈴木ビルは、かつて写真家・名取洋之助氏が率いた編集プロダクション<日本工房>が事務所を構えていた場所。当時この場所で、名取洋之助氏をはじめ、日本のグラフィックデザインの礎を築いたと言われるデザイナー亀倉雄策氏、山名文夫氏、河野鷹思氏らが集い、対外宣伝(プロパガンダ)のためのグラフ誌「NIPPON」を作っていました。写真やグラフィックデザインとの深い繋がりを大切にしてきた森岡書店にとって、この鈴木ビルを新たな書店の場所として選ぶのは、必然的な偶然でした。